昨日
おはようございます、一夜明けました。
やっぱりあまりよく寝られなかったです。
旦那は今、仕事場の様子を見に行きました(責任者なので)
昨日の地震発生時、私は職場にいました。窓口で書類の検査をしている時に揺れを感じ(一番最初に気が付いた)、「地震ですね」と周囲に言い、その時はあんなに大きくなるとは思わずその内収まるだろうと書類検査を続行している内に「あれ?何か長いぞ」「あれ、終わらないぞ」と思っている内に大きく揺れ出しました。
揺れは円を書くように、足元が左右に揺れている感じでした。
直下型ではなく、徐々に揺れが大きくなったので怖かったですがパニックになることはなく、入り口近くに居た社員が自動ドアの電源を切り入り口確保、二人いたお客様を机の下に誘導、倒れそうな背の高いラックを床に倒してから倒壊する物のない場所や机の下にみな避難。
やがて揺れが収まってから立ち上がりました。
揺れが大きくなった瞬間、まず真先に子供の心配をしました。まだ学校に居る時間だったので、怖い思いをしているだろうと。学校が比較的新しい学校なので(30年くらい)校舎が安全なのはわかっていてそれは安心してましたが、何分私がすぐに行けない距離なので心配でした。
ただ昨日は偶々私の母が私の家で子供を見てくれる予定だったので、その時間に私の家に母親がいるのはわかってましたので、そちらも安心だと言い聞かせ、1時間ほど経って自宅に電話してみましたが誰も出ない。旦那の職場も旦那の実家も母親のケータイも。他の社員の家族には皆連絡が付いたのに私の家族だけ連絡が取れず焦りました。ようやく旦那の携帯電話に繋がり事情判明。自宅一帯が停電で電話が通じてないとのこと。自宅・旦那の実家・旦那の職場は同じ地域に在るので全部連絡付かなくなってたんですね。旦那は二度自宅に戻り、一度目で私の母、二度目で子供と会って無事を確認していて、旦那の実家も無事だったと電話で聞いて一安心しました。
繋がるのが職場の固定電話(非常時比較的優先される回線)からかける旦那のケータイだけだったので、帰宅前に「これから帰るけど歩いて帰るので何時になるかわからない」と連絡し、トイレに行ってから、19時、徒歩で1人帰宅へ。
先日買って在ったお茶のペットボトル2本、震災時避難マップを持って出発。幸い靴は平たい厚底のブーツ。帽子・マフラー・マスクで寒さ対策もたまたま万全。
駅に向かう道は既に人の流れが大きく、途中の店も閉店して、停電中と聞いていたので懐中電灯を買おうと思いましたが買えず。
多摩川の橋の上でケータイが鳴り、「緊急地震速報・強い揺れに備えてください」と受信。こんな橋の上でこんな人が密集していてどうしろと!と超焦りました。
その後も国道246を歩いている最中、電光掲示板に「地震発生 走行注意」と表示されたりして怖かったです。一人だったし。
人の流れは線路伝いに流れていたのですが、私は震災マップに表示されている道の方が危険はないだろうとそちらを選び246に出て246沿いに真直ぐ進みました。
暫くは順調に進みましたが、私の地元の駅から3つ手前の駅に着いた途端、停電エリアに入り真暗になりました。
電気がないというのはあんなに暗くなるんですね。前が見えない程の暗闇です。信号も消えている。灯りは手元のケータイと、時折通る車のライトだけ。歩いている人もほぼいなかったので心細くなりました。本当に暗いんです、音もしないし、あんな光景は初めてです。異質。
暗闇の中地図も見えませんでしたが、その辺りに来れば何とか道もわかって来たのでとにかく歩く。停電しているエリアでしたが駅は自家発電してるのか優先されているのか明るく、灯りを見た時はほっとしました。
それから2駅分歩いて21時自宅到着。子供と母親が出迎えてくれました。ようやく子供と会えてほっとしました。
停電しているので、マンションはポンプで一度上に水をくみ上げてから各戸に供給している所為か水も出ず、ガスだけ来ている状況でした。ご飯も食べられてないとのことで、カップ麺は在ったのですが水が少ししかなく、使っていいのか躊躇していたようです。
とりあえず子供の無事を確認できたので旦那の仕事場へ。
停電の影響で電動シャッターが下りず、セコムも作動しないので職場待機を命じられた旦那が寒そうに一人でいました(他の社員は帰宅させたそうです)金融機関なのでうかつに放置できない職場なんです。個人情報もたくさんあるし。
電気復旧するまで待機命令、これは泊まり込みかもということで近くに在る旦那の実家から布団を借りて運びこみを手伝い、様子を見た後自宅へ帰る。その時旦那の実家にあった水のタンクをもらいました。喜んでありがたく頂きましたが、重かった…。
自宅に帰り、お湯を沸かして母親と子供がカップ麺で遅い夕食。私は興奮してるのかあまり食欲がなく紅茶だけ飲む。
その時点で22時30分位。母が泊まってくれるとのことなので、子供を寝かせてから旦那の手伝いに行こうと思ってましたがやはり怖いのか寝ない。私のベッドで寝かせて、暫く傍に居て落ち着かせる。
23時30分過ぎ、母にお願いして旦那の職場へ。そっちに着いてから暫くして電気復旧。明るさのありがたみを噛みしめる。
それから帰宅準備。地震直後に停電したので、そのままの状態だったのを二人で片付けて(旦那も私も同じ職種なので勝手は解る)シャッター下ろして防犯装置作動させて帰宅。0時過ぎ。
帰宅して、テレビを見る事が出来て被害の大きさ、津波の怖さに愕然。2時過ぎまで情報収集。就寝。
で、朝7時に起きました。旦那は仕事場へ。
被災地の方々の無事を心よりお祈りいたします。
何も出来ないのが歯がゆいですね…
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この記事へのコメント
無題
無題
お子さん、さぞかし怖かったでしょう…
私が阪神大震災で被災したとき長女が生後3ヶ月で本当に大変でしたが、物心が付く前で本当に良かったと思いましたもの;
しかし、MAKIさんの仰る通り、当日あんな惨状なのに一人で行動している女性がレイプされる事件が後を絶たず、怒りと悲しみで震えがきました。
本当に無事に帰宅されて良かったです!
これから暫く大変だと思われますが、頑張って下さい!
どうかお子さんが怖がらない無い様、側に居てあげて下さいね。
無題
こっちも電車が止まってしまい
なかなか家に帰れませんでした;
無題
地震発生当時は勤務先で仕事中、本気で「こんな所で死にたくない!」て思いました。エレベーターは止まるわ、電話は使えない、電車も止まる・・・こんな事になるなんて・・・。
自宅までほとんど徒歩でしたが、見ず知らずの人達に道や駅の方向を教えて頂きながらなんとか辿り着きました(泣)
なのに私の母は「なんで連絡しないの~」て怒る始末・・・連絡したくったって携帯使えず連絡出来ないし、公衆電話は人だかりだしどうしようもなかったのに~(泣)
・・・被災された方達に比べたら幸運だと思います。
ありがとうございました!
一人で帰宅したのですが、停電エリア以外は246沿いだったので車の往来が多く、明るかったので大丈夫でした!
ご心配ありがとうございます、嬉しかったです!
>麻純さま
夜に緊急地震速報が鳴ると子供は寝室にやってきます…やっぱりまだ怖いんでしょうね。
昼間は普通にしておりますが…
私にとってもあの揺れの大きさは初めての体験なので、思いだすと怖いです。あ、でも揺れ自体よりも「子供と離れている」ということが怖かったですね。うん、そっちの方が怖かった…
計画停電に仕事も影響が出て右往左往してますが、私に出来ることをがんばります!
>十亜さま
電車止まって大変でしたね、十亜さんは徒歩で帰られたのでしょうか?
普段当たり前と思っていた物のありがたさが骨身に染みて感じた1日でした…
>YOKOさま
本当に、今まであるのが当たり前と思っていた電気水道ガス電話が、当たり前と思えることがどれだけ幸せだったか痛感いたしました。
お母様が怒ったのは、安心した反動だと思いますよ?私もほっとした瞬間怒ることありますもの!愛情です、愛情v
被災地の方を思うと、私に出来ることを一生懸命しなくてはと思います。頑張りましょうね!